大分県議会議員
志村・学

情操教育の殿堂

 お陰様で県議として早や十五年目を迎えることができました。これも偏に市民皆様方の厚いご支援の賜であり衷心より感謝・御礼申し上げます。

 さて、この度「大分県中期行財政運営ビジョン」の中に県立美術館の基本構想策定に着手することが明記されました。私がこれまで理事長として取り組んでまいりました「首藤コレクション里帰り大分県推進協議会(現顕彰協)」の目的は「首藤コレクションのロシアからの里帰り」と「県立美術館の建設」であります。

 一昨年十二月より約二カ月間県立芸術会館にて多くの県民をはじめ、全国各地より約四万人のご来館を頂き、その入場料の収益千四百万円を大分県芸術文化基金に蓄積することができました。

 私たちは、首藤定氏の夢を実現すべく予てより県立美術館建設を県に訴えてまいりましたことから、この度、県立美術館建設に向けて大きな一歩を踏み出されましたことは誠に感無量であります。

 私たちが人として生きるには「もの豊かさ」だけではなく、「心の豊かさ」が、もっとも肝要であります。その「豊かな心」を育む糧とその「こころ」を育てる糧となるのが音楽や美術などの芸術ではないでしょうか。その意味からも県立美術館建設は次代を担う子供達の情操教育の殿堂づくりとして欠くべからざる事業と申せましょう。

 県立美術館建設に当たりましては、多くの県民皆様のご理解とご協力が不可欠であります。何卒力強いご支援を賜りますようお願いを申しあげます。

 私、志村・学は県議として、これからも皆様方のお役に立てさせて戴くべく全力を傾注してまいる所存でございますので、どうかよろしくご支援ご教示の程お願い申し上げます 。



文部科学委員長
衆議院議員
岩屋 毅

情熱と行動力の人

 志村学県議は情熱と行動力の人であります。かつて私が自民党県連会長を拝命した折、未熟な私がこの重職を担うためには、識見と経験を兼ね備えた方にお手伝い戴く以外にないと考え、迷わず志村県議に幹事長就任を依頼したのは、かねてより県議のお人柄を密かに信頼申し上げていたからであります。

 その志村県議が「ライフワーク」と言っていいほどに熱心に取り組まれている課題が、「首藤コレクションの里帰り事業」と、そのための「県立美術館の建設」であります。

 今から三十年以上前に、一旦は頓挫したこの企てを、県議は並々ならぬ情熱をもって一昨年についに実現されました。そして今回は、県の「中期財政運営ビジョン」の中に、いよいよ「美術館建設」が明記されることになったのであります。

 これすべて志村県議の東奔西走に依るものであり、その熱意と行動力には驚嘆するばかりであります。昨年の秋以来、私は衆議院の文部科学委員長の職にあり、委員長に就任以来、志村県議からは、本件について数次にわたる熱心なご要請を受けてきましたが、その熱意に促されるままに、及ばずながら微力をいたした結果、「首藤コレクションの大分県常設」についての文化庁との交渉は、目下、徐々にではありますが進展しつつあります。

 やがて県立の美術館が完成し、そこに首藤コレクションが常設されることになれば、郷土出身の先達、首藤定翁の生前の悲願が実現するばかりではなく、そのことによって本県の芸術文化が一段と振興成熟していくことが期待されます。

 志村県議の愈々のご活躍によって、その日が一日も早く到来することを心から願う次第であります 。



大分合同新聞社友
元文化部長
永松 秀敏

首藤コレクションが常時鑑賞出来る本格的県立美術館の完成を夢見て

 長年の悲願であった首藤コレクション里帰り展が実現し四万人の県民が県立芸術会館につめかけた。国境を越えた交渉の難しさもあったがロシア側の理解もあり夢のような話が現実になった。

 首藤定先生の生まれた故郷臼杵市民挙げての支援も大きかった。中でも里帰り推進協議会(現顕彰協)理事長として先頭に立って尽力された志村学県議のご努力には頭の下がる思いであった。

 自らミッションを率いてモスクワに飛び、ロシア国立東洋美術館関係者を臼杵に招き心の通う中、美術を通しての首藤先生の人間愛が両国関係者の心の扉を大きく開くきっかけとなった。
 
  この成果を次のプロジェクトに結びつけなければならない。それは本格的県立美術館の建設である。文化立県大分の二大柱は本格的ホールと本格的美術館である。前者は既に県病跡地に最高レベルの音楽ホールを備えたOASISひろば21が完成残されたのは美術館作りである。

 コレクション展の純益千数百万円を基金第一号にと廣瀬知事のお墨付きも得た県もやっと基本構想制定に重い腰を上げた。

 ソフトの充実もさることながら、ハード(外観)は街並みの美学に貢献するものでなければならない。OASISひろば21と共に県都文化ゾーン構想も浮かび上がってこよう。

 福田平八郎、高山辰雄ら巨匠を生んだ大分県にふさわしいものをと言う声も出て来るだろう。完成の暁には、再び首藤コレクションが京都に預けた福田画伯の四十点と共に里帰りし、常時鑑賞出来るメモリアルの美術館になったらと、夢が現実になることを心の中心から祈っている。



大分県美術協会
会長
渡辺 恭英

県立美術館建設への変遷

 美術館建設に関しまして美術協会は、実に三十年を超える長い運動を続けて参りました。

 一九六六年に大分文化会館で開催された松方コレクション展は、長蛇の列ができて大盛況でした。その収益が弾みとなって一九七七年に建設された今の芸術会館は、実は展示部門とホール部門の複合施設でした。

 立派な展示場が出来て喜んだのも束の間、早くも翌年から展示スペースの拡張等を求めて陳情を始めることになりました。

 海外の紹介展は勿論、国内の団体展なども小規模なものに限られる有様だったからです。

 また、常設の展示室がないために、四千数百点もの収蔵品を県民が目にする機会も極めて限られます。受け入れ施設がないばかりに、ロシアから一部返還された首藤コレクションは京都の美術館へ流れたままです。

 私どもは過去六回、時には四万人を超える署名を携えるなどして県への陳情や要望を繰り返して参りました。最近では二〇〇六年に芸振会議と連名で知事と教育長へ要望書を手渡しております。

要点は
@常設展示場の確保A企画展示室と県民ギャラリーの設置。
B情報収集や研究・学習機能の充実。
C街の広場としての機能の四点です。

 二〇〇八年は美術館建設に関するシンポジュームを、今年は建設運動のためのチャリティー小品展開催など対外的なアピールも展開しています。

 この時期に県が中期ビジョンの中で県立美術館の基本構想を策定。新美術館建設に向けての胎動が見えてきたことを大変心強く思っています。

 



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